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名古屋高等裁判所 昭和33年(う)98号 判決

控訴人 被告人 工藤布智男

検察官 三沢治郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人竹下伝吉、同大矢和徳提出の両名共同作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるからここにこれを引用するが、その要旨は、原審が被告人に対し実刑(禁錮)を科し刑執行猶予を付さなかつたのは量刑不当であるというにある。

案ずるに、近時都市市街地や主要道路における自動車交通の量的増加および高速度化は著しく、これに伴い必然的に交通事故の惨禍が激増しつつあることは社会的事実として顕著なところである。交通事故の発生を未然に防止する方策としては、交通警察の取締強化および悪質違反者の厳罰や、道路の改良および信号機、標識等の整備はもとより必要であるが、何をおいても、まづ自動車運転者において、自己の業務が人の生命、身体、または財産に危険を及ぼすべき性質のものであることに自覚し、交通法規を遵守し、高度の注意を払つてこれら事故の防止に努力することが肝要である。交通事故の原因の多くは、自動車運転者の交通法規の違反であつて、無免許制限速力違反、睡眠不足、またはめいていによる無謀運転などであることは裁判上顕著なところであるが、なかんずく、めいていによる無謀運転に基く事故は最も悪質、危険な事犯である。なんびとも飲酒、めいていに陥れば、意識障害を起し、理性的判断の減少または喪失をきたし、自制ある行動をとることができにくくなることは経験的に理解できるところである。それゆえ、自動車運転者たる者は、特に前記業務の性質にかんがみ、自己がどの程度飲酒すればめいていに陥り正常運転に支障をきたすかは当然知つておるはずであり、また知ることができるのであるから、自動車を運転する場合はめいていに陥らざる程度に飲酒の量を抑制すべき注意義務(第一次的義務)がありまた、飲酒して自動車運転を開始してからでも、めいていに陥るまでの間に、いまだ理性的判断の存する段階においては、直ちに運転を中止して酔いをさまし、正常運転ができるのを待つて運転を再開すべき注意義務(第二次的義務)のあることも条理上当然のことといわなければならない。

いま、本件訴訟記録および原審において取り調べた証拠、とくに原判決挙示の証拠によると、

被告人は、原判示当日の午後九時ごろから十時半ごろまでの間、名古屋市港区龍宮町一番地飲食業吉野志ず子方で、清酒(二級)約四合ないし六合を飲んで、原判示愛六-そ三六五〇号自家用自動三輪車を運転し、自宅に帰るため同区東海通四丁目先通称佐屋街道を時速約二〇粁で西進中、漸次酔いを増して泥すい状態に陥つたため正常運転の能力を失い、車はじくざく状態で暴走し、おりから東進して来た中央交通株式会社所有の原判示愛五-あ二八〇一号乗用自動車の右側後部に衝突し、さらにそのまま西進して前方車道南側を歩行していた原判示藤本重三に衝突して、ついに同人を死亡するにいたらしめた事実(原判決認定事実と同旨)が肯認せられるのであつて、右事故は被告人が原判示のような注意義務(前記第二次的義務)を怠つた過失によることはもちろん、事前において右の泥すいに陥らざる程度に飲酒を抑制しなければならない注意義務(前記第一次的義務)を怠つた過失によるものといわなければならない。はたしてしからば、本件事犯は交通事故のうち最も悪質、危険なものであり、一般予防の見地から相当厳重に処罰の要ありというべく、被告人の経歴、家庭状況、被害者の遺族との示談成立、その他所論の各事情を考慮にいれても、原審の量刑は相当であり、これを不当とする事由の存在を認めることはできない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないので、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却すべく、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 坂本収二 裁判官 水島亀松)

弁護人竹下伝吉、同大矢和徳の控訴趣意

原判決には量刑不当の違法があるから破棄さるべきである。

第一、被告人が酔つぱらい運転をした原因 自宅に近かつた為酔がまわつたのが自宅に近い地点だつた為と言うのが原因である「このような見さかいのなくなる程酔つぱらう前の確か東海通りの十字路あたりに来る頃に危いから車を運転することを止めて歩いてくればよかつたのですがもうすぐ自分の家に行けるとのことからそのまま運転して来たのです」(被告人の警察官調書六八丁被告人の検事調書七四丁)「もう少しだから大丈夫だ位の安易な気持からです」同七〇丁)

第二、注意義務を怠つたことについて相対的不可抗力性 被告人の酔は飲酒した上自動車の振動を受けた為酔が徐々に強度化して運転を困難ならしめるに至つたものである。被告人はしらずしらずの間に少しづつ注意義務が麻ひして来たのであるから注意義務を履行するだけの注意能力が徐々に減少して来たことは明白である。このことは原判決が運転不能前に運転を中止しなかつた点に注意義務違反を求めていることに関連して更に注意義務履行への期待可能性乃至責任能力の問題に関連して重要である。

被告人が運転中酔をおぼえた事実自体については原判決中罪となるべき事実及び吉野しづ子の警察官調書五三丁以下を参照せらるべきである。

第三、被告人が飲酒した理由と飲酒量が増加した――仕事を手伝つてくれた原田氏の労をねぎらうためと取引の相手方が加つた――ため(証拠被告人の検察官調書七二丁、七三丁)。とまれ被告人が飲酒したこと自体は定のとおり、又酒量の点から言つても飲酒を目撃した吉野しず子の前掲供述からも本件事故発生について因果原判決認関係、少くも相当因果関係をもつものでない。(吉野しず子の警察官に対する供述中吉野しず子の店を出る時には被告人に大した異常は認められなかつた趣旨の供述参照)

第四、被告人の運転中の注意義務遵守の程度――減速二〇粁 被告人は当初時速二〇粁位で進行したのであるがかようにおそく進行したのは「酒を呑んだ為に酔も廻つて来たことから余りスピードを出して走ると危いと思つたからである」(被告人の警察官調書六六の一丁、六六の二丁)

第五、被害者の態度 路上車道部分において衝突 本件被害者は死亡しているために被害者の過失については知る由もないが実況見分の結果横断歩道に属しない歩道より四、二二米の地点に血痕があつた(実況見分調書及び見取図参照)こと及び被害者が七六才の老人である点から見ても被告人の「本件被害者は車道のなかにいた旨の供述(八三丁)の信用性は勿論のこと被告人だけに全責任があるとは必ずしも言い切れない事情にある。

第六、前科なし 被告人には同種事犯の前科も存しない(被告人の公判廷供述八三丁)

第七、犯行の被告人の態度 被害者に誠意を尽す、被害者感情宥恕 被告人は被害者に対してひたすら恭順の意を表し保険金を含めて金四拾万円で示談が成立し取りあえず約束手形で三万円支払い現在では全額支払済みである。又葬式に際し香奠果物など四千五百円相当を持参し誠意の限りをつくした。

示談成立の点(四十万円)については昭和三三年二月八日附の藤本一男作成の念書(追つて提出の予定)尚この証拠は被害者感情をも有力に物語つている。保険金三十万円支払済の事実については東京海上火災保険株式会社名古屋支店新種保険課長今清水行雄の自動車賠償責任保険損害賠償額支払御通知の件と題する書面(九〇丁)十万円支払済の点については証と題する書面二通(八八丁及び追つて提出)その他の点については被告人の公判廷供述八四丁、同人の検察官調書七七丁)

第八、改悛の情顕著 「本件の事故に対して十分責任を感じている」(被告人の公判廷供述八四丁)「遺族の方に申訳ないことをしまつたとつくづく思つています。それ以来八月中は一編も酒を飲まずに慎みました」(被告人の検察官調書七七丁)尚村瀬友松に対しても損害支払済である(村松の検事調書四三丁)。

第九、被告人の家庭――財政的にも実刑は致命的 財産としては不動産もなく動産が六十万円位で収入としては鉄屑商の収入のみ家族は妻二八才に長女一年六月の二人という家族である(被告人の警察官調書六一丁)。恐らくは動産を処分すれば営業に窮し又被告人なくしては営業も不能である。

以上の諸点を考える時被告人は当然執行を猶予せらるべきである。

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